テネリフェ空港衝突事故概要

・発生日:1977年3月27日 日曜日
・発生場所:スペイン/カナリア諸島/テネリフェ島
・犠牲者数:580名
・大型旅客機2機追突
テネリフェ空港衝突事故機体情報
KLMオランダ航空4805便

・機種:ボーイング747-206B
・機体記号:PH-BUF
パンアメリカン航空1736便

・機種:ボーイング747–121
・機体記号:N736PA
テネリフェ空港衝突事故経緯と原因
グラン・カナリア空港の一時閉鎖によるテネリフェ空港の超負荷運用
1997年3月27日、スペインのカナリア諸島グラン・カナリア島東部にあるグラン・カナリア空港は午後13時過ぎに発生した爆発事件により閉鎖されたため、グラン・カナリア空港行きの十数便はテネリフェ島のテネリフェ空港で一時退避した。
テネリフェ空港は滑走路1本と誘導路1本の小規模空港であり、超負荷運用が強いられ、エプロンと平行誘導路は退避の旅客機に埋め尽くされた状態になった。
管制官のイレギュラー対応で2機同時滑走路上で移動
午後4時、グラン・カナリア空港の事故処理が終わり、再開されたため、テネリフェ空港で退避中の旅客機は離陸準備し、目的地のグラン・カナリア空港に向おうとした。
エプロンと平行誘導路にはすでに退避中の旅客機が溢れている状態のため、管制官はKLMオランダ航空4805便(KLM4805)とパンアメリカン航空1736便(PAA1736)を滑走路に誘導し、端の離陸待機位置まで逆走するように指示した。

管制官は、先頭のKLM4805が離陸待機位置に到達後、180度転回し、後続のPAA1736がC3取付誘導路に入り滑走路から離脱するまで、待機するように指示しました。
濃い霧の中、機長と管制官の認識違い、通信の干渉が起きた
PAA1736とKLM4805が移動する中、霧が発生し、視界は悪くなった。
PAA1736は指示されたC3取付誘導路を通過するには2回148度の転回必要で、当時世界一の大型旅客機ボーイング747にとって不可能である。PAA1736機長は管制官指示のC3ではなく、その先にある45度の転回で済むC4取付誘導路を選び、滑走路で前進し続けた。

同時刻、KLM4805は既に滑走路の停止位置で離陸待機している。待ち焦がれたKLM4805の機長は管制官に離陸許可を申請したが、通信の干渉が起き、管制官の待機指示が4秒間の雑音に覆われ、機長は許可されたに聞こえたため、加速し始めた。
歴史に残る大惨事で、583名の犠牲者も出た
PAA1736の機長は前方加速中のKLM4805を気つき、避けるためにスピードを上げて滑走路横の芝生に突っ込もうとした。時速260キロのKLM4805も避けるため、最大限に機首を上げ、上昇させようとした。しかし、既に手遅れだった。
KLM4805は機尾が滑走路に3メートル以上の深い爪痕を残し、右翼がPAA1736胴体の中間部に激突した後、30メートルの空中で分解され、墜落爆発した。PAA1736もいくつかに分断され、爆発した。爆発による火災は翌日の午後まで続いた。
この事故は、KL4805乗客乗員248名全員、PAA1736乗客乗員396名のうち335名、計583名で史上最多の犠牲者数の航空事故として歴史に残った。